![]() 舞踊評論家が日々思うこと by mitsuko-t-sakurai カテゴリ
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20年前の12月末に私は会社を辞めた。
大学を卒業してすぐに入社し、9年9ケ月勤めた大手建設会社。 女性には非常に優しい職場で居心地は良かった。 あと3ケ月待てば、勤続10年のご褒美がもらえるはずだった。 寿退社(結婚退職)でも、ヘッドハンティングでももちろんなく、 トラブルがあったわけでもない円満退社の理由。 それは、ソ連(当時)に住みたかったから! ソ連好きになったのは、幼少のころ。 メキシコオリンピック。 体操のナタリア・クチンスカヤ選手を知ったとき。 体操競技とクチンスカヤ選手の両方に魅了された。 その後、中、高、大学の10年間、体操部所属。 日本体操界の底辺(!)を支え続けてきた。 同時にソ連の体操選手の美しさを通じて、 ソ連のバレエを知り、ロシア文学や音楽にも 興味を抱いた。 受験のときには、一瞬、ロシア語学科も考えたが、 英語の成績が非常に悪かったことと、 大正生まれの父が大のロシア嫌いだったために… (というか、進学高に通ってはいたが、 受験勉強からは逃避というか落伍していたため) 無難な女子大へ。 ロシア語を学びだしたのは就職後。 OLの習い事としてだった。 憧れのソ連に初めて行ったのは、その後、 1988年春。 その旅先で音楽評論家の先生と出会い、 帰国後も文通が続き、 その年の秋に、 「舞踊評論をしませんか?」という はがきが、その先生から届く。 すぐに「します!」と答え、 その先生の弟子となった。 桜井多佳子の誕生。 会社を辞めたのはその3年後だ。 幸運なことに、すでに 「バレエの本」(音楽の友社)などに、 記事を書かせて頂いていた。 OL生活をしながらバレエを観て書く、 忙しいけれど充実した生活だった。 しかし、 「OLの片手間に舞踊評論!?」 という世間の声が聞こえ、 私自身も限界を感じていた。と同時に、 旅行でしか行ったことのないモスクワに 「住みたい」という夢も大きくなっていた。 会社を辞めてモスクワに行きたい。 その気持ちは高まってはいたが、 その頃の“ソ連”に行く勇気はなかなか沸かず、 両親の猛反対にもあい、決心はつかなかった。 そんなとき、1991年の8月、 ソ連でクーデターが起こった。 ペレストロイカを進めていた ゴルバチョフが軟禁された。 もうモスクワには住めなくなった! 私の夢は消えてしまった! 行くことができるときになぜ 行かなかったのかと後悔した。 (いま考えれば、 「行くことができるとき」 があったとも思えないのだが、 何もわからないまま大いに後悔した。) が、クーデターは3日で終結、 ソ連は一気に崩壊へと向かう。 私は会社を辞めることを決心した。 20年前の今頃、出勤最後の日、 会社を後にしたときの気分は、 いまでも覚えている。 びっくりするほどの解放感と、 恐ろしいほどの心細さ。 「会社」の威力をあらためて感じた。 それから20年。 半年たらずのモスクワ留学を経て帰国後、 「私は一体どうなるのだろう」 と不安にもなったが、 本当に幸運な出会いが重なり、 なんとかフリーで仕事を続けている。 師匠の音楽評論家の先生が亡くなられ、 大好きだった父を亡くしたときは、 これで、もう、私もダメだと 思ったが、友人たちに支えられた。 自分でも「まさか!」の結婚、 しかも東京の日本舞踊家との。 それは「舞踊評論家」にとっても、 大きな刺激になっている。 会社を辞めて20年。 こうしてやっているのは、 皆様のおかげです!!! 本当に大感謝!!! あっという間だったけど、 20年は20年。 新人で若手だった私も、 ・・・・・・・。 これからは、若い人のことも考えて、 そろそろ「還元」することも 大事なのだろうなと思います。 来年も、どうぞよろしく! 充実の1年にしたいものです! 桜井多佳子 # by mitsuko-t-sakurai | 2011-12-31 19:32
ずっと前から気になっていたけど、
震災後、もっと気になりだした言葉がある。 「感動を与えたいです」 「感動を与えられるダンサーになりたいです」 「感動して頂ける演技ができたら・・・」 「感動してもらえるような作品をつくりたい」 芸術家やアスリートがインタビューでよくこう答えている。 でも、「感動」って与えるもの? 「感動」は与えられるものであって、与えるものじゃないと思う。 感動を「元気」に変えても同じ。 感動を与えようとする演技にしろ作品には、 なんか、押し売り感や、あざとさを感じる。 感動したから感動を与えたい、という気持ちは素直。 だから10代前半のジュニアが言うのはいい。 バレリーナを目指す少女がいうのはいい。 だけど、プロのダンサーや世界を目指しているアスリートに、 「感動を与えたい」なんていわれると、 「そんな余裕があっていいの??」と思ってしまう。 私が尊敬するダンサーやアーティストの口から、 この言葉は聞かない。 真摯に何かに打ち込んでいる人は、 それで完結しているんだと思う。 最近では、体操の内村航平氏が、 全日本優勝時のインタビューで、 淡々とやるだけです(私の超訳)みたいなことを言ってた。 やはり凄い人だと思いました。 # by mitsuko-t-sakurai | 2011-04-30 16:18
「ダンスマガジン」6月号に、
震災後に神戸で観たKバレエカンパニー公演 についてのレポートを寄せています。 また「DDD」4月号に、 ファルフ・ルジマトフのインタビュー記事を寄せています。 読んで頂けたらうれしいです。 どちらも写真が素敵ですよ。 原稿を書くときは、いつもいつも、 「私に書くことが出来るのかな~~~」 と心配になります。 でも、上記の二つの原稿は、なかでも、特別に心配でした。 まず、Kカンパニー公演は、 震災後に観た最初のバレエで、私自身が冷静じゃなかったし、 また、その公演のレポートを書くと言う事は、 震災にも対峙することで・・・。 なんだか、おろおろしてしまった。 でも、いつものことだけど、結局は、 私は私でしかないから、正直に書くしかない! と開き直って書きました。 ルジマトフのインタビューは、 震災よりずーっと前の、今から思えば平和なときに 行いました。 インタビュー記事は、 その人の真実を、なんとか読者に誤解がないように伝えたい、 と思うので、レポート記事とはまた違う神経を使います。 特に今回は、通訳なしにインタビューしたので、 彼の言葉をどのように日本語にするかは 私次第なので・・・責任重大! 47歳で踊っている彼の凄さ、 肉離れでも舞台に立った彼の思い、 (もちろん批判も多かったのです) そういうことを、私が書くことができるのか、と不安でした。 ただ、昔は、インタビューとなると口数少なくなって、 「キミのロシア語はわかりにくい」なんて言ってたルジマトフが、 このときは、じっと私の言葉をきいて、ゆっくりと答えてくれた。 (だから余計にプレッシャーだったんですけど) 何度も何度も録音を聞いて、雑談もくまなくテープ起こしして。 そうして、やっと仕上げました。 読んでください!!! # by mitsuko-t-sakurai | 2011-04-29 22:51
このブログでも触れていたのですが、
昨年秋に苦労して書いた1万字の原稿が、 本になりました! 「ロシアの文化・芸術」(生活ジャーナル社) その名の通り、私が担当させていただいたバレエだけでなく、 音楽(クラシックとポップス&ロックは別項目) オペラ、オペレッタ、演劇、文学、TV,ラジオなど 様々な分野(24項目)を、 日本の専門家やロシアの専門家(TVやファッションなど)が 執筆した本です。 その出版記念パーティが、 新宿のロシアレストランでありました。 この時期なので、欠席された方も多かったのですが、 私の興味の対象であるオペレッタ(ロシアのオペレッタはなんとも 趣があり、楽しいのです)や サーカス(バレリーナになりたいと思ったことはない私ですが、 空中ブランコを見ると、やってみたかった!と思うのです) の項目を書かれた方は来られていて、 しばし談笑。ロシア料理も美味しくいただきました。 ロシア大使館の方も来られていて、 「ドイツやフランスの大使館には人がいませんが、 ロシア大使館には人がいます・・」 と。 私もそうですが、ロシアの知人から、 「すぐ避難に来なさい」という連絡を受けた方も多く、 あーやっぱりロシアっていいよね、という気持ちになりました。 凄い偏見かもしれないけど、 ソ連時代は、このようなロシア好きの集りは、 なんかどこか暗くて地味~な雰囲気だったのですが、 このごろは明るくて華やかです。 帰り道のJR新宿駅には、たくさんの若者が 「義援金をお願いしま~~~す」と叫んでいました。 もの凄く寒い中、ご苦労様!なのですが・・ いくつかのグループ(団体)があるのか、 それぞれの箱を持つ人が、競うように叫んでいるので、 なんだか怖いような雰囲気。 あの叫び声の源に近づいてお金をお渡しする気持ちには なれませんでした。 義援金はコンビニでも受け付けているし・・。 若者のエネルギーを「大声で叫ぶ」に費やしているのは、 なんだか勿体ないような・・・。 # by mitsuko-t-sakurai | 2011-03-26 21:00
21日に神戸でKバレエの公演があったので、
地震以来初めて電車にのって遠出。 (Kバレエは素晴らしかったです。 「真夏の夜の夢」のパックを踊った熊川氏が特に。 後日、なにかの媒体に書くと思います) 薄暗い東京駅に戸惑いながら新幹線へ。 いつもは乗車と同時に寝ちゃうのですが、 もしも余震が起こったら、と少々不安で眠れなかった。 お昼ごろ、新神戸へ。 お天気は悪かったけど、なんか明るい。 地下鉄に乗る前に、外へ出て深呼吸。 戸外で深呼吸なんて久しぶりなような気がした。 翌日に帰るつもりだったけど、ずるずる一日延ばし。 知人の話では、東京に夫を残し大阪に帰省している人は 多いみたい。気持ちは凄くわかる。 洗濯物がはためく、何気ない光景が、ものすごく幸福に見えてくる。 大阪の空気が美味しいなんて思えたのは初めてかも。 昨日の午後の新幹線で東京へ。 京都から乗車してきた家族連れの荷物から、 葉物野菜がのぞいていました。 東京駅はやはり薄暗かった。 案内表示が見えにくいので不安。 気をつけてみると、 東京駅は、駅内の案内表示の多くが、電光掲示板というのか、 それ自体が照明。 最近の内装工事で、電気看板(というのか?)だらけに なってしまったみたい。 普通の看板にしておいたら、少々照明を落としても 不便さはないのにな。。 と、思いながら、山手線へ乗り換え。 えー!!!エスカレーターも節電で止まっていた。 私は日ごろから節電のため、ではなく、諸々の理由から 階段を使用するが、お年寄りや、重い荷物を持つ人には、 エスカレーターは必要でしょう・・・。東京駅なのですし。 抜本的な「節電」を、考えないといけないんでしょうね。 自然光を取り入れるとかも含めて。 フランス人を日本のレストランに連れて行くと、 「明るい」という。「明るすぎる」と嫌な顔でいう。 ロシア人はお客さんがくると電気を消す。 明るいのが良い、というのは日本の文化? というと夫が、「いや、日本だって、あんどんで十分だったのだから」と。 ビックリするほど明るい国を見たのは、 10年以上前、機上からみたドバイ。 トランジットで降り立ったドバイ空港も、 信じられない大きさのシャンデリアが輝いていた。 一瞬は綺麗と思ったけど、その後、 ドバイのエアコンには、オフのスイッチがない、 というウソかマコトかわからない話をきき、 さもありなんと、思った。 明るさは富の象徴・・という考えはあまりにも原始的。 原発を今、急になくすことは出来ないと思うけれど、 日本全体が抜本的に節電したら、 これ以上原発を増やす必要はなくなり、 減らす方向に向かえるのかな、と思う。 大阪の明るさが、節電モードの私には違和感を抱かせた。 東京と大阪、遠いと思ったことはないけれど、 いまは別世界。 そう、TVだけで見る被災地は、想像をはるかに越えているのだろう。 ご冥福をお祈りし、心からお見舞い申し上げます。 # by mitsuko-t-sakurai | 2011-03-24 18:44
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