感動は与えるものなのか
2011年 04月 30日
ずっと前から気になっていたけど、
震災後、もっと気になりだした言葉がある。
「感動を与えたいです」
「感動を与えられるダンサーになりたいです」
「感動して頂ける演技ができたら・・・」
「感動してもらえるような作品をつくりたい」
芸術家やアスリートがインタビューでよくこう答えている。
でも、「感動」って与えるもの?
「感動」は与えられるものであって、与えるものじゃないと思う。
感動を「元気」に変えても同じ。
感動を与えようとする演技にしろ作品には、
なんか、押し売り感や、あざとさを感じる。
感動したから感動を与えたい、という気持ちは素直。
だから10代前半のジュニアが言うのはいい。
バレリーナを目指す少女がいうのはいい。
だけど、プロのダンサーや世界を目指しているアスリートに、
「感動を与えたい」なんていわれると、
「そんな余裕があっていいの??」と思ってしまう。
私が尊敬するダンサーやアーティストの口から、
この言葉は聞かない。
真摯に何かに打ち込んでいる人は、
それで完結しているんだと思う。
最近では、体操の内村航平氏が、
全日本優勝時のインタビューで、
淡々とやるだけです(私の超訳)みたいなことを言ってた。
やはり凄い人だと思いました。
震災後、もっと気になりだした言葉がある。
「感動を与えたいです」
「感動を与えられるダンサーになりたいです」
「感動して頂ける演技ができたら・・・」
「感動してもらえるような作品をつくりたい」
芸術家やアスリートがインタビューでよくこう答えている。
でも、「感動」って与えるもの?
「感動」は与えられるものであって、与えるものじゃないと思う。
感動を「元気」に変えても同じ。
感動を与えようとする演技にしろ作品には、
なんか、押し売り感や、あざとさを感じる。
感動したから感動を与えたい、という気持ちは素直。
だから10代前半のジュニアが言うのはいい。
バレリーナを目指す少女がいうのはいい。
だけど、プロのダンサーや世界を目指しているアスリートに、
「感動を与えたい」なんていわれると、
「そんな余裕があっていいの??」と思ってしまう。
私が尊敬するダンサーやアーティストの口から、
この言葉は聞かない。
真摯に何かに打ち込んでいる人は、
それで完結しているんだと思う。
最近では、体操の内村航平氏が、
全日本優勝時のインタビューで、
淡々とやるだけです(私の超訳)みたいなことを言ってた。
やはり凄い人だと思いました。
by mitsuko-t-sakurai
| 2011-04-30 16:18